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『彼女の知らない空』(小学館文庫)

『彼女の知らない空』
早瀬 耕

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第239回の今回は、2020年3月6日に発売されたばかりという早瀬先生の最新作をご紹介します。
早瀬先生といえば、これまでも『プラネタリウムの外側』『未必のマクベス』『グリフォンズ・ガーデン』をご紹介してきました。
また、小学館の文芸誌『qui-la-la』などで不定期で短編小説を発表されていました。
今回はその短編小説が一冊の本になり、早瀬先生の新作が読める!と待ちきれずに飛びつきました。
なお、カテゴリについては悩んだのですが、インタビュー記事で『基本は夫婦の恋愛小説』と書かれていたので、「恋愛もの」カテゴリにしてみました。


簡単なあらすじ
表題作である『彼女の知らない空』の他に、『思い過ごしの空』『七時のニュース』『閑話|北上する戦争は勝てない』『東京駅丸の内口、塹壕の中』『オフィーリアの隠蔽』『彼女の時間』の計7作が収録されています。
『閑話|北上する戦争は勝てない』は本書のための書き下ろしになっています。
その『閑話|北上する戦争は勝てない』では、長時間労働で心身に不調をきたした妻と、その夫が東京駅でとある老人に出会います。
その老人に「これを大連へ届けてくれ」と言われた二人は不思議な体験をすることになるのですが……。



2020年3月8日現在、新型ウイルスは世界中でその猛威を振るい、多くの国や地域がその対応に追われています。
その影響は例えば様々な大規模イベントの中止、国民の意識や世論、人間の移動に関わる国家間の制限など、様々な形で影響を及ぼします。
連日のように報道される情報の中では不安を煽るような言葉が飛び交い、個人の意思や信条は世の中全体を覆う「大きな流れ」に飲み込まれてしまいます。
混沌としていて、不条理で、理不尽な世界の中では、個人の力はとても小さいものに感じられてしまうものです。
例えば、誤った情報に惑わされずに冷静に行動することだったり、限られた資源やリソースを本当に的確に分配することだったり、そもそもウイルスそのものに対する科学的に正しい知識を持つことだったり、そんな「正義」を個人で持っていたとしても、全体として世界で起こっている事態は覆りません。
こんな状況に対する閉塞感は、精神的にもかなり消耗するものです。


ウイルスの話にとどまらず、例えば戦争に向かっていく国家であったり、あるいは業績だけを求めて社員に過重労働を強いる企業といった大きな組織といった状況を考えた場合でも、やっぱり同じように個人レベルでの閉塞感や無力感は生まれてしまうのかもしれません。
今という時代がどんな時代なのか?という大きな主語で語るつもりはありませんが、時代や世代といった言葉とは関係なく「一人の人間の力では何も変わらない」「一人の人間の力では自分が信じる正義すら貫けない」という絶望は誰もが直面し得るのではないでしょうか。
けれど、そこに絶対に希望がないとは言い切れません。
アザラシが本短編集を読んだ時に、収録された全作を通して感じたのはそんな閉塞的状況にあって葛藤する登場人物の心理と、それでも確かに信じることができる希望でした。
特に『七時のニュース』の中で描かれるテーマはまさにその典型で、『こうやって世界は変えられるのかも』というフレーズはその前にくるセリフも含めて、多くの「世界なんて変えられない」あるいは「変えられなかった」と思っている個人の心に響くのではないでしょうか。


相変わらず回りくどくて、紹介になっているんだかよくわからない文章になってしまいましたが、本短編集の最大の魅力は「大きなもの」に翻弄される個人の葛藤と、それでも確かにあると感じられる希望の描写なのではないかと思っています。
先の例にもあげましたが、作中に登場する戦争に加担するもしくは戦争に向かっていく国や、社員を消費していく企業の体質は、多くの読者がある意味で無自覚に加担してしまっている組織なのかもしれません。
それでも、その「大きなもの」を前にしても個人が「正義」を持つことや、「変えられるかもしれない」と希望を持つことは可能なのかもしれません。
作中に変化していく登場人物達の心理描写を介して世界の見え方が変わる短編集なのではないかと思います。


ところで、冒頭でも触れましたが、本短編集は確かに「夫婦の恋愛小説」という側面を持っています。
『思い過ごしの空』『彼女の知らない空』『七時のニュース』『閑話|北上する戦争は勝てない』『彼女の時間』にはそれぞれ夫婦が登場します。
もちろん、それぞれの作品で描かれる夫婦の関係は10代から20代の若者の関係ではありません。
30代後半から50代にかけて、ある程度の年月を経たからこそ生じる信頼を基にした関係性は、派手な色恋沙汰こそありませんが、じんわりと温かみの感じられる美しさがあります。
本記事の前半はどうしても堅苦しい紹介になってしまいましたが、「夫婦の恋愛小説」として読んでも楽しめるエンターテイメント性を備えたオススメの短編集であるといえるでしょう。


ところで、本書の解説はライターの瀧井 朝世氏が執筆しています。
各作品のあらすじ紹介もお手本にしたいくらいに「まさにそのとおり!」な文章なのですが、特に最後の段落は、多くの早瀬先生ファンが全力で共感することでしょう。
書影をよくご覧になっていただくとわかると思いますが、英語で書かれた副題にもあるように「希望」はあるのですから。

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コメント

非公開コメント

No title

文庫本が出たのですね!^^
これはアザラシさんは飛びつきますよね。待ち望んでいましたものね♪♪
わたしも何作かは読んでいるので、文庫本読みます!!
数日前に発売されたばかりなのですね。そしたら図書館にリクエストを出さなくちゃ^^
楽しみだな♪
あー、でもこの本は買っちゃおうかなあ(笑)

七迦寧巴 さん

コメントありがとうございます!
そうなんです。
ついに、文庫本として出版されました!

qui-la-laに掲載された作品が多いので、すでに読んだ作品も多いかもしれませんが、改めて読むとやっぱり胸に迫るものがあって、あっという間に読み終わってしまいました。
記事の中でも書きましたがちょっと自分自身の「正義」を見失いそうになった時とか、夫婦のあり方について思いを馳せたくなった時とか、また読み直したいなと思う機会が多そうなの、手元に一冊持っておきたい大切な一冊になりました。

おそらく図書館にも蔵書されるとは思うのですが、もし機会があったら手にとってみてください。

No title

「夫婦の恋愛小説」というフレーズに惹かれて買いたいと思ったら、電子書籍ではまだ出ていないようでした。日本に戻ってから買って読むことにします^^
「書影をよくご覧になっていただくとわかると思いますが、英語で書かれた副題にもあるように「希望」はあるのですから。」画像を穴があくほどじっくりみてみたのですが、「希望」を見つけることができませんでしたT-T

Re: No title

MunehitoKiriさん

コメントありがとうございます!
電子書籍ではまだないようなので、帰国されたら手に取っていただければと思います。

「希望」の件はちょっとわかりにくかったですよね。
英語の副題が「Short Stories 1」となっていますよね。
「1」ということは今後「2」や「3」が期待されると思います。
今後も短編集が読める、というのは早瀬先生の作品が好きなファンにとってはとても楽しみなんです。