FC2ブログ

『灯台守の話』

『灯台守の話』
ジャネット・ウィンターソン (著)
岸本 佐知子 (翻訳)

tdmh

第188回の今回は、Twitterでご紹介いただいたこちらの作品をご紹介したいと思います。
白水Uブックスといえば、以前『カモメに飛ぶことを教えた猫』をご紹介したことがありますが、本作は別に児童文学というわけではありません。
というか、白水Uブックス自体は海外小説のシリーズであって、児童文学のシリーズではないのです。


簡単なあらすじ
大西洋に面した岬にある町、ソルツ。
その町で母親と二人で暮らしていた十歳の少女シルバーは、あるとき母親を不慮の事故でなくし、孤児になってしまいます。
行く当てのなかった彼女を引き取ったのは灯台守のピュー。
ピューは彼女にかつてソルツの町にいた神父、ダークの話を聞かせます。
数奇な人生を辿ったダークの物語は、シルバーを導く物語になるのですが……。



物語には力がある、というのは本ブログで度々使用した言い回しです。
小説をはじめとした物語を読んでいると、その言葉の意味を感覚的に理解する瞬間を何度も経験します。
その力とは、読んだ人の感情を強く揺さぶる力であり、悩みに答え前向きな心を取り戻させる力であり、生き方そのものを変えてしまうほどの力であることすらあります。
では、物語とは何でしょう?
世の中は「物語」という言葉で溢れています。
小説の中に、映画の中に、ゲームの中に、時にはロックシンガーが歌う歌詞の中に、「物語」という言葉はいとも容易く出現します。
まるでその二文字だけで大きな何かを表現しているかのような、それでいて抽象的でとらえどころのない言葉として、「物語」は安易に消費されすぎていると言えなくもありません。


二重否定で煙に巻いただけの気がしますが、最近のアザラシはそんなことを考えていました。
まさにそんなタイミングで読んだこの本は、間違いなく「物語」そのものを主題とした物語です。
あらすじにも書きましたが、ピューが語るのも物語ですし、本作の主人公兼語り部であるシルバーが語るのもまた、自身の物語であるといえます。
時には時系列すらも前後して、まるでばらばらのエピソードの集まりであったとしても、それぞれに意味が付帯されているとすれば、あるいは聞き手がそこに意味を見いだせるのだとすれば、それこそが立派な物語なのでしょう。
だからこそ、物語とはただのエピソードの羅列や事象の叙述などではなく、意味付けされた語り方そのものであると、アザラシは思っています。


ものすごく抽象的な言い方になってしまっていて恐縮ですが、例えば本作におけるダークの「物語」を具体例として説明を試みてみます。
本作でピューが語る物語の登場人物であるバベル・ダークは100年以上前にソルツの町にいた神父です。
ダークは数奇な人生を辿り、ソルツの町で神父になった後も奇妙な二重生活を送っていました。
ここまでの2行に物語としての意味付けはありません。
しかし、本作を読めばわかる通り、そんな物事の写生文などではない、シルバーの人生を大きく変え得る意味を持った語りが描かれています。
これこそが「物語」なのです。
文字通り物を語る、その語り方こそ「物語」の真髄であると言えるでしょう。


そして、本作はそんな「物語」が持つ力を非常に象徴的に描いています。
作中で紹介される沈没しかけた船の船乗りが七日と七晩命をつないだエピソードや、船乗りに物語を聞かせる灯台守のエピソードがまさにそんな象徴のハイライトになっています。
常に変化し続ける海のような人生という荒波を乗り越えていくために必要な灯台としての物語。
本作でも人生の荒波に放り出された主人公シルバーが物語の力に導かれ、真実の愛にたどり着く一連のシークエンスは、まさに圧巻です。
そんな物語そのものの力を再認識させられる本作は、人生の様々なシーンで読み返すことで、物語の違った意味に気付き、新たな発見に出会える、そんな一冊なのではないかと思っています。


というわけで、若干抽象的な紹介文になってしまいました。
内容が全く想像できず、いわゆる書評としてはいまいちかもしれません。
とはいえ、たまには(いつもかもしれませんが)独り言のような記事も書くのも悪くはないのかもしれません。
少なくとも、本作を読んでいる間と、この記事を書いている間は楽しかったのですから。
ご紹介、ありがとうございました。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

コメント

非公開コメント